AI時代の幕開け

最近、AIの真価が目覚ましいことになっています。2023年にChatGPTが流行って以降、世界ではAIが価値あるものとして考えられています。プログラミングの世界でいうと、AIエージェントを使うことでコードを書かずにプロダクトを作ることができるようになりました。また、画像や音楽、動画も生成できます。さらにAIを使って恋人を作る人まで出てきています。

2023年より前と変わらない街中の風景

とはいえ、それはあくまでコンピューターの中の世界でしかないように思えます。自分の生活を振り返ってみて、朝に起きてご飯を食べ、出勤をするときにはAIの影がありません。もちろんいろいろなシステムの裏側ではAIが動いていることはわかっているのですが、なんかこうまだ裏方に徹しているような気がします。

もちろん裏方の仕事が効率化されることで、このぜいたくな生活を享受できていることは確かです。ただ、アニメやドラマなどで見たような世界がないような感じがします。映像が浮かんできたり、スマートグラスっぽいもので効率化されたり、AIが生活のサポートをしたりといった変化がないように思えます。いいかえるなら、LLMが発展をする2023年と2026年の街中はあまり変わっていないように思えます。

AIが届くところと届かないところ

街中が変わっていないように思える理由として、AIを利用できる分野と利用できない分野、使える会社と使えない会社があると思います。使える会社の場合、エンジニアはもうコードを書いていないという現状があります。ただ、使えない会社の場合、いまだにコードを書いたりExcelで計算をするということがあるかもしれません。また、接客業の人などはAIを使って何かするということはあまりないのかもしれません。こうしたAIを使える人達と使えない人たちがいて、たぶん街中の景色となる店舗では、客が見える範囲でAIを使う機会がないからかもしれません。

AIは効率化の道具で発展の道具じゃないのかも

AIはあらゆる世界を効率化しました。ただ、それは既存の仕組みやパラダイムを効率化をしているだけかもしれません。それはそれでとても重要なことですが、だれが見てもわかるような変化とは言えないかもしれません。よく考えれば、画像も音楽も動画も、今まであった仕組みをなぞっているように思えます。また、AIが進化していても、肝心のプロダクトにあっと驚く新機能が増えている印象もありません。それ自体は安定をとるために必要なのかもしれませんが、未来に進んでいる感覚がありません。別にそれでいいのかもしれませんが。

ただしAIは未来の産物である

とはいえ、AIというのは未来の産物であることは言うまでもありません。例えば質問をし、数十秒待つだけで答えが返ってきたり、テキストから画像を作るというのは今までなら考えもできなかった世界です。自分が欲しい画像を頑張れば作れる世界というのは、前の世界の人から見れば驚くべきものかもしれません。そうした事柄が当たり前になっているからこそ、そのありがたみが感じられないのかもしれません。

最後に

僕らは過去の世界の見た目をした未来に生きているのかも知れません。